どうしてタダでOSを配ってやっていけるの?・・と聞かれた

さて、そんな感じで、お仕事も Linux を常用して、私生活で一番使う ネットブックWindows / Linux ハイブリッドな環境になったわけですが、そんな会話を日常でもするわけでして、朝、父さまに車で駅まで送ってもらう最中に、そんな会話をしてたらば、「どうしてただで OS を配って、やっていけるわけ?」と逆に聞かれてしまいました。

うーんどういう風に説明したもんかしら。

あんまり時間もないし寝起きで頭も回らないしで、その場は「作る人が趣味で作っているから」「使う人はサポートや保証をもとめるから『ちゃんとした企業』がサポートすると客がつく」「『ちゃんとした企業』にとっては自社製品になるので、機能や品質を上げるため、仕事でプログラマをつける」みたいにお茶を濁したのですが、むー、説明になっていない。


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多分、父さまが一番はじめに納得できないのは、「OSみたいに巨大なものを」タダで作る人たちがいるということだとおもう。

例えば、日曜大工が好きな人が素敵な椅子をつくったら、それを友達にあげるときに気前よく「いいよいいよ、ただでいいよ」とあげる人はそこそこいる・・・というのは感覚的に納得できる。ところが、プロの大工が趣味で家を一件たてて、それを友達に「いいよいいよ、ただでいいよ」と気前よくあげちゃうのは・・・立派な変人です。(この論法のまま 「rms は立派な変人」でOKな気がしますけれど ^^;)

日曜大工と違い、ソフトウェアは複製を作る手間もコストもかからないのが味噌。その味噌の一つの効果は、だから変人が一人いればみんなが家をもらえてしまう・・ということ。もう一つの効果は、誰かが素敵な椅子を作って配ったら、他の誰かがそれを見て「おれっちがこの椅子に似合うすてきなテーブルを作ってやんよ」とテーブルセットができてしまう、という 大変人に依存しないで大きなシステムができる可能性があるということ、かな?

・・・と、この路線で説明を組み立てようと思ったのだけれど、なんだか比喩から嘘が生まれてしまいそうで怖くて、保留中。

本当は ストールマンが味わった懊悩とか、自由なソフトウェアの理念を説明できればいいのだけれど、父さま、そこまで興味がないからきっと馬耳東風になるのよね。うーん、誰かうまいことを言ってくれないかしらん?


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真面目な話をすると、父さまも、自分が使って「これはよい」と思ったらそれをタダで上げようとする。たとえば MS-IME より ATOK がよいと思ったら、友人にただで配ろうとしちゃう。

自分の持ち物を独占せずに配ってしまうのは「よいこと」だ、というのが多分それが素朴な人間的な感覚で、「せっかく俺がお金を出したのに、そいつを金を出してもいないやつにやるなんてイヤだ」はお尻の穴が小さい、という感覚。

だけれど、それだとコピーが楽に出来るものの場合「作る人がやっていけなくなる」から、素朴じゃない視点で「悪いこと」になる*1。だからコピーは「共有」ではなく「泥棒」だ、として扱うルールが生まれる。

そういう社会で長らく暮らした身で、自由なソフトウェアのようなものが「やっていけている」のをみると、なにか「やっていける秘密の仕組み」がないと「常識」とマッチしないので気持ち悪いのかなぁ・・・なぁんて、思いました。

*1:「著作物」や「発明」なんかもコピーコストが低さ故の視点ですよね