綺麗なブラック(注:そんなものはありません)

昨日は久々に 一番最初の会社の同僚達と飲んできました。超ブラックだったこの会社は日々驚愕のエピソードを体験させてくれたので何年経っても記憶が薄れることがありません。

給料日は同期みんなでマクドナルドにいって会社の愚痴をいいながらお昼を食べるのが習わしでした。昼を食べ終わり会社に変える際に「あぁ、この角曲がったら社屋に鉄球が叩き込まれていて崩壊していないかな」とか語り合ったのは、今となっては良い思い出です。

──そう、思えば本当に酷い会社でした。


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絶対に守れるはずの無いスケジュールが引かれ、その上常に案件は3件同時進行(定時分・残業分・休日分 と揶揄してました)、誰も手が開いていない状態でも平気で新しい仕事が放り込まれ、真実の鐘は22時、プライベートは掛け値なしにゼロであり、徹夜明けの朝、やってきた新人に仕事の指示をするようになったら一人前みたいな酷い生活。

そこで「人間追い込まれれば頭の変な回路が動いてニュータイプデバッグが出来る(そこだ!バグが見えるっ!」とか「夢の中でデバッグは普通にする」とか「プチプチシートを掛け布団にすると蒸れて案外寝にくい」とか「休日出勤で疲労回復できる」とか「全く作っていないものでも納品できる」とか、あり得ない経験を積み重ねていきました。あぁ、本当に酷すぎる。

けれども不思議な事に結構優秀な人が多かったのです。

あれからいくつもの会社を見てきましたが、あれだけ優秀な技術者を取り揃えていたのにあれだけダメな会社は、他になかったなぁ。

ほとんどが新卒採用のメンバなので、悔しいけれどあの戦場のような環境は技術者の成長に向いているのでしょう。生き残る為──という強烈な成長のモチベーションがよいのでしょうか。


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ブラックの種類にもいろいろなタイブがあって、技術者がみんなダメ過ぎてデスマるブラックから、開発部のキャパシティをはるかに越えた量の仕事が舞い込むブラックもあります。どちらにも共通するのが、賽の河原の石積みのように生きている時間のすべてを開発に費やさせ技術者の命と精神を磨り減らしていくことですが、そこで何年努めても何も得るものが無いというブラックと、それでも濃厚な経験が得られるブラックでは、後者はまだマシなブラックなのかもしれない、と、そんな風に考えることがあります。

あのような絶望的な状況の中でも仕事や仕事の改善を諦めてしまわない事は、不屈のプロ意識(超絶精神力)というよりも、むしろ精神の安定のためにバランスをとるための心の楽なポイントなのだと思います(でないと心が折れてしまう)。

とはいえ現実との辻褄合わせは大変すぎて、でも大変すぎるからこそ無茶と希望のキツキツ間で磨き上げられていく経験は早回し。あの戦場の中で短期間に積まれる膨大な経験は、成功も失敗も確かに糧になります。技術的な事、折衝的な事、嘘のつき方。綺麗な技汚い技その他もろもろ。何が何でも仕事をうまく生かせる精神論ではないアプローチ。

もちろん仕事以外で勉強する暇はとてもなく、技術がローカルミニマムにハマっていく危険は大きいのです。諦めとともにローカルミニマムに落ち着いてしまうダメな人たちももちろん居たし、その下につかされた人達は目も当てられないくらい悲惨でしたが、そうならない場合には強力に人が育つ環境というのも本当です。(または死ぬか壊れるか)


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10年経ってわたしが あの日々を懐かしく思い出せるのは、それが強烈な痛みだって喉ものを過ぎさせるのに充分な時間だったからに過ぎません。わたしは会社を辞めたとき、はっきり言ってボロボロでした。

あのころのマクドナルドと同じように、だけれども柔らかく、わたしは同僚たちとかつてのあのとんでもない会社の思い出を愚痴りあい、酷かったねーと笑いあい。そして会話は弾み、かつてのマクドナルドとは違う話題、人の使い方や育て方 プロジェクトの回し方について、あのころ○○さんがああやってたのが凄い参考になったとか、やっぱり××さんのアプローチは有効だよと言ってみたりとか。そんな年齢になったのだな、と新鮮で。みんな相応に年をとったなぁ。

絶対に戻りたくないし肯定したくない、そんな経験だったけれど、確かにわたしの糧になっていることは否定できない。それを悔しくも確認してしまう。時間は偉大です。

ふひひ、ほろ酔い。思えば本当に本当に酷い会社だったなぁ、と戦友と話すのは愉しいものなのです。生き残れれば、ですけどね。