自由
http://grigori.jp/report/stallman.html を読みました。
● 個人的な利益と共同体の利益のうち、共同体の利益に貢献するように作られているということですよね?
ストールマン氏:
違う。守っているのは、個人の自由だ。GPLは全ての、1人1人の自由を保護している。その中にはコミュニティを形成して一緒に働くという自由も含まれている。それと同時に個人で何かをする自由も保護されている。
これに反対し、GPLが制限だと主張する人たちは、他の人たちをコントロールしたい人たちなのだ。つまり彼らの言うのは、「彼らが私達のことをコントロールする自由」を私達が彼らから奪っている、ということなのだ。だから彼らは、奴隷制に反対する人に対して、反対しているようなものだ。
なるほど〜。そして頭をガツンとやられたのは以下の言葉。(強調は私)
だから私は、「自由」と「権力」をわけて使っている。自由というのは、自分自身が何でもできるということで、そして、権力はその力が他人に及ぶということとしている。
素晴らしい名言です。視界がパッとクリアになりました。さすが RMS。
同時に「自」「由」という文字で作られている 日本語の「自由」がとても的を射ている素晴らしい言葉だと思えてきたので、ちゃんと語源を調べてみようと思いました。
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Wikipedeaの「自由」の項によれば、この自由という言葉は 福沢諭吉 が freedom と liberty を訳すときに「自由」という仏教用語を当てたそうです。
これでは、ちょっと心許ないのでもう調べてみると、良いページを発見。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/t-shinya/yowa58.html (法窓夜話)
ここによれば、福沢諭吉の「西洋事情」一巻の注に
本文自主・任意・自由ノ字ハ、我儘放盪ニテ、国法ヲモ恐レズトノ義ニ非ラズ、総テ其国ニ居リ、人ト交テ、気兼ネ遠慮ナク、自分丈ケ存分ノコトヲナスベシトノ趣意ナリ、英語ニ之ヲ「フリードム」又ハ「リベルチ」ト云フ、未ダ的当(てきとう)ノ訳字アラズ。
とあるそうです。
そんなわけで今日は、自由、自由と唱えつつ、自由とは何かについて、ちゃんと考えてなかったんだな〜と、ちょっと自己嫌悪でした。