余談:仏教用語の「自由」

ちなみにもともとの(仏教用語の)「自由」は

仏教用語での自由は、「自に由る」(おのずからに、よる)の意味から無我や自己責任の概念で使われる。

転じて勝手気侭の意味とされる。

自由 - Wikipedia にはありますが、出展もなく、正しいかどうか解らないなぁという印象を受けます。

そう思ったのは私だけではないようで、

仏教用語の「自由」について教えてください。 -大学で、自由について、- 哲学 | 教えて!goo

とそのまんまの質問がありました。

で、その回答の中に浄土真宗の関係者(?)さんのがあって、

自由の「由」は<よる><もとづく>という意であるから他に由らず、独立して、自存すること、即ち<自らにもとづく><自らによる>ことが“自由”である。晩年のブッダは、弟子達に「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と教えられた。我々の行動の判断は、自らに由るよりも、むしろ他の意見や権力によって支配されることが多い。そこには自由がない。だからブッダは「自らによれ」と教えられたのである。』

という意味らしいです。また、

※なお、解脱した(悟りをえた)状態のことを指して「自由」と呼ぶ場合もあります。

と言う意味があり、Wikipedia の言う「勝手気侭」はむしろ「自由自在」の「自在」の方であるらしいです。