限界を超える対価。

www.textfile.org さん経由、自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がする - jkondoのはてなブログ

結城さんの的確なコメントが全てな気がしますが、例によって蛇足的なのですが。一言で言えば「頑張らなくて良かった」シチュエーションの変形、「頑張らなきゃ良かった」です。

確かにがんばれてしまうものだな、限界を超えられる物だな、と自分の経験を振り返って思います。そこには自分の想像を超えたスゴイ自分がいます。

でも、それと同時に 頑張れてしまった結果 自分が壊れてしまうというのも経験できてしまったのでした。

私の最初の会社を退職した本当の理由は、比喩でもなんでもなく「殺される」と思ったから。限界を超えて、限定解除モードで働き終わったと思ったのに、少なくともあと半年は同じように頑張ってくださいと言われたから、それは死んでしまうと思いました。だから今辞める。今止めれば、ちょっと疲れがたまっているだけだから、ちょっと長めの夏休み、そうね、一月も休めば大丈夫さ、と思ってました。

しかし、実はもう手遅れで、すでに心も体も壊れていたのでした。

一日3時間も起きてられない。眠っても眠っても眠くてしょうがない生活が数ヶ月つづいたり、働くことがトラウマになってしまい「就職しなきゃ」と考えただけで動悸バクバクになってしまうとか。体の方は一言で言えば、一気に老化したなぁ、といった感じで、あちこちガタガタになってしまい、なんか残業代をお医者様に貢いでいるような状態で。

結局私が社会復帰したのは、それから一年後のことでした。



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この経験で得たかけがえのない物は、「どこまで頑張れば自分が壊れてしまうのか」というのが解るようになったことです。頑張って限界を超えるとき、もう壊れてしまう、取り返しがつかなくなってしまうという限界ラインはとても見づらくって、知らずに飛び出してしまうものです。しかし、一度踏み出してしまって痛い目にあった結果、そのラインに敏感になったということ、その線が「大したことない一線」では決してないことを知っていることは大きな財産です。

そして、運が良かったのは、一線を超えてしまったただ一度のとき、未だ私が若かったということ。元に戻らなかった物もあるけれど、社会生活には戻ってこれたというのは 本当に「若さ」と「運」だったな、と思います。我ながら本当に危ない橋を渡ったモンです。


その後、懲りずにこの業界に再就職し、同じようなレベルの修羅場やデスマーチを経験したのですが、「あっヤバいな、今」と感じられるようになったから、心や体をクラッシュさせることなく無事乗り切れるようになりました。また、頑張った結果私が壊れても、誰も助けてくれないのことも身にしみていたので、これ以上働かない(無理だ)という主張をすることに、後ろめたさを微塵も感じることもなくなりましたw(小心者の私には、これも大きいな御利益だったかもw)


動物は 自分の文字通りの生存が掛かっているときとか、命より大事な物を守らなければいけないときには、リミッターが解除されるように出来ているそうです。だからなのか、人間もリミッターオーバーで本当に稼働できてしまうもので、その結果体や心が不可逆に壊れてしまうような状況(リアルタイムで壊れて言っている最中)でも、気がつかず頑張れるように出来ているみたいです。

本当に心や体が壊れてしまう一線でも 殆ど気がつかずに超えてしまえる。これは、本当に、本当に注意しなければいけない点だと思います。