今度こそ幸せになって欲しいと祈りを込める映画

ヱヴァンゲリオン 新劇場版:序 に行ってきました。月日が経つのは早いもので、私はもうシンジ君よりミサトさんに感情移入する歳になっていました。ああ、残酷な現実。

まだ「序」と銘打つ映画であり、小手先調べと劇場に足を運んだのですが、早くも涙腺が緩んでしまうのです。「序」はストーリこそ 旧エヴァンゲリオンを踏襲しているものの、細かい差異が間違い探しのようにちりばめられています。最初からLCLのように赤い海、ひとつずれた使徒のナンバー、はじめからリリンと呼ばれるセントラルドグマ白い巨人、そのマスク、「○○チルドレン」とけっして呼ばないこと、月の巨人、渚カヲル etc..。しかしその差異は「リテイク」したからではなく、このヱヴァンゲリオンが エヴァンゲリオンの続編であることを示します。そう、この話は「新訳」でも「リテイク」でもなく、続編なのです。

思えば、みんなが思ってきたのは、シンジ君が、アスカが幸せになれないジレンマ。幸せになってほしいという視聴者の思いを退け、エヴァンゲリオンは結局不幸のどん底で終劇を迎えます。だから、同人誌でもエヴァの別の終劇を書いたものは数多く現れ、そしてそれは何らかの幸せの形にシンジ君を、アスカを導きます。これらは私たちの心の中にが如何に満たされなかったかの現れ。

渚カヲルは言います。


「こんども三人目なんだね。君は変わらないね。早く合いたいよ、碇シンジ君」


私たちは祈ります。でも今度こそ、彼らを幸せにしてあげたいと。だから泣きたくなるのだと。