手抜き
すっごい違和感を感じました。
多くは「たかが手段のために何で抽象化?そんなの知らなくても出来るじゃん。」、こんな感じ。苦手とかじゃなく、手を抜きたいだけ。
何の初心者? - それ
えー? 私は 抽象化したほうが楽(手を抜いている)って感じるけどなぁ。逆に「楽」って感じないってことは結局「苦手」なのだと思うのですけど、どうでしょう。
プログラマは手を抜くには惜しみない労力を注ぐ生き物です。小規模コーディングが(本来の)目的であるスクリプト言語なのに OOも求める層がいるのは、OOの方が楽だから。
で、ここからは口にチャックした方が良いかもしれない内容なのだけれど、
これをやる気がないとばっさり切り捨てる
何の初心者? - それ
のは、「我に七難八苦を与えたまえ」なんて言っている人を構う気は、そうそう起きないからじゃないかしら。わざわざ苦労して、なのに出来るモノも酷くって、それってどんな苦行なんだろうと思ってしまう。
ただ、普通だったら 「楽して良いものをつくる連中」と、「楽をしないで良くないものを作る連中」がいた場合、どう考えたって後者は淘汰されて居なくなってしまうハズなのに、なぜかコの業界はそれが起こらない。(それどころかむしろ逆の圧力が働いているようにしか思えない)
間違っているのはプログラマじゃない、社会が間違っているのだ。
Matzにっき(2008-02-04)
は、プログラマの共有する憤りだと思います。
補足
「自転車に乗れるようになちゃっえば自転車でお出かけする方が全然楽だよ」という「楽」と、「自転車に乗る練習なんて苦労するするくらいなら歩いていった方が楽だよ」の「楽」なんだと思います。だから、生涯一回っきりのプログラミングだったら、学習コストを回収できないから 苦行派の「楽」は本当に「楽」なんだと思います。そういうのはもちろん除外で、お仕事なり趣味なりでプログラムを作り続ける人に限定のお話でした。
で、私が言いたいのは「自転車のれないなんてトロイなぁ」では決して無くて、 まず「自転車は乗れるようになると楽」という所から、認識がずれているあたりにぷち絶望を感じる、とうお話です。