生理的嫌悪は加減を知らない

わたしのデスクマットの裏には、15年くらいまえの新聞の切り抜き写真が入っています。

阪神大震災で被災した、おそらく10〜13才くらいの女の子とその家族が、避難所に設置された仮設風呂に入っているところの写真です。

本当に、とてもとても良い写真なので、切り抜いてずっと取っておいていました。けれど、もうこのような写真は撮ってはいけないし、ましてや新聞にのるようなことなんて絶対ないでしょう。

ある意味、日本の15年間で失われた「表現」といえるかもしれません。


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子供の裸の写真は、「普通の感覚」で捉えれば、ほほえましいものに感じると思います。かつて近所のお兄さんが、子供と遊んでくれていたのを見て「面倒見のよい、いいひと」と言う風に捉えられていた。

でも今は違う。――何故違う?

確かに、子供が素っ裸で遊ぶ風景を「ほほえましい」ではなく「エロい」と捉える人はいます。ただそれは「そう言う人がいる」と言うだけの話であって、素っ裸で遊ぶ子供の写真を撮る人間のうち「エロいエロい」と撮る人なんて、比率にしたら今も昔も変わりない、ごくわずかだと思います。

でも今は、そう言う「気持ち悪い人達」が世の中に存在することを知られています。今と昔の大きな違いとは、もしかしたらそこなのかもですね*1


そんなことを考えてしまったのは、はてブで見かけたこのコメントが切っ掛け。

RRD 「エロ同人界隈も市民権を得たと勘違いをして秋葉原を練り歩いたりするのが最大の問題」本当にその通りで、ゴキブリは食器棚の影に隠れてれば叩かれないのに、クソオタクは群れてはしゃぐからなー。 2010/03/12

はてなブックマーク - 「非実在青少年」とかって、ネタとしか思えない(雑感): やまもといちろうBLOG(ブログ)

なるほど、ゴキブリ。上手なことを言うなぁ、と思いました。ただ一つ補足するならば、たとえ食器棚の影にゴキブリが逃げって行ってしまっても、いることを知ってしまったら最後、ゴキジェットを吹き込み、ホウ酸団子をばらまいて、バルサン炊かずにはいられないってこと。知ってしまったら、きっと殲滅しなければ気が済まない。


東京都の青少年健全育成条例 改正案は、ゴキブリをキモいと感じるから、その衝動のママに皆殺しにしてしまうのと変わらないことだと思います。ゾーニングという棚の裏だけじゃ許せない。その嫌悪の気持ちは、最後はネズミ嫌いのドラえもんよろしく、きっと「地球はかい爆弾」で自分たちごと全てを地獄にたたき落としてしまう。犠牲を犠牲と気がつかない。歯止めがきかない。

だって、わたしたちは自分の子供ですら、川で素っ裸で遊ぶ姿の写真を撮ることだって、もう危ういのだから。


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あわせてよみたい:中里一日記: 子供の人権年表

*1:更に言えば、その「気持ち悪い人達」の殆どは、犯罪者でもなければその予備軍でもないですが、それは今回は棚上げ