闇が落ちる前に、もう一度

「アリスとの決別」で山本弘さんに俄然興味が沸いているところ、「SFホラー」と言う宣伝文句についつい手に取ってしまったのです。

闇が落ちる前に、もう一度 (角川文庫)

闇が落ちる前に、もう一度 (角川文庫)

闇が落ちる前に、もう一度
もし、宇宙が生まれたのが 8日前だと判ってしまったら。たまたま記憶も世界も「こういうふうに」なったのだとしたら。一見そんな奇跡はあり得ないと思えるけれど、無限の試行をすればそういうことは起こりうるはず。SFでホラーは「お話だし」と思わせてくれないあたりが、とても怖いのです。
屋上にいるもの
純粋なホラーです。周辺で一番高いビルの屋上に棲むモノがあっても、きっと誰も気付けない。天井からの物音がとても怖くなる一編です。
時分割の地獄
タイムシェアリング。バーチャルなアイドルAIがあったとして、その仕事がタイムシェアリングになるのは、なるほど〜、と思いました。・・というのは本題ではなくって、自我があることを否定され続けた AI が、それに傷つき、憎しみを覚え、殺害を企てるのですが、彼女はモニターの外に出ることが出来ない仮想の存在で。彼女の壮絶な殺人劇とは?
夜の顔
これは怖い。「顔」のモデルが竹中直人らしいと聞いてさらに怖い!
審判の日
ある日突然、500人に一人しか残らない頻度で人が突然消えてしまった。・・みたいなお話です。これはホラーではない SF らしい SF です。

表題作について思うのは、ランダムって凄いんだという実感自体が恐怖になること。

たとえば複雑過ぎる問題について、アルゴリズムを組んで「賢く」問題を説くよりも、ランダムと幸運を上手に拾い集めるアルゴリズム任せた方がよほど早く効率的に問題が解けたりします。でも人は、そんなことは起こり得ないと考え、それを奇跡と呼んで「ありえないこと」の代名詞にしてしまいたがります。進化論を信じるより創造神が居た方が「らしい」という風に捉えてしまうのが人の直感です。

このSFの情景──この世界がランダムに変化する状態の一時の姿として突然たまたま「現在」の形を成したとしたら。頭の中の過去の記憶も世界に残された過去の痕跡も、過去からやってくる星の光も、たまたまある程度矛盾しない程度にランダムの結果成ってしまったとしたら。

一瞬「ありえない」と思ってしまいますが、SFはそれを「いや、『ありえない』は本当でしょうか」とも思わせるので怖いのです。だって、無限の試行があれば、その状況が出現しないことのほうがあり得なく、だったら今私たちがいるこの世界がそうでないとなぜ言えるのでしょうか。かえって、いままでピンチをくぐり抜け、途絶えず、歴史を紡いできたことのほうが、ランダムの結果でこの現在が出現するより「難しい」のでは?と頭をよぎってしまいます。

それがあり得ないと思いたいのは、それがバカバカしく浅はかなファンタジーだからではなく、心の拠り所を守りたい本能からなのかも、唸ってしまいます。だって、考えて、経験し、積み上げて、進んでいく存在と信じたい私たちの心の有り様は「時間の流れ」が不可逆であることを切望しています。退化や停滞を苦痛と恐怖で捉えます。

山本さんのSF世界はそれを理屈で否定するので、ときにホラーになり、ときにユートピアとなり、それが面白いなと思うのです。