神は沈黙せず

というわけで、最近めっきり山本弘さんにハマっているわたしです。
が、この「神は沈黙せず」は、他の山本さんの作品とすこし違うのです。

わたしは、「神は沈黙せず」を読んで、新井素子さんの「絶句」を思い出しました。

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

絶句は「新井素子」という全部を余すことなく搾り取った「新井素子のすべて」といった小説で、だから中二的でもあり、魅せ方よりも「作家のすべてを晒すこと」を優先したかのようです。作者が識っていること、思っていること、信じ念じることの**すべて**を、物語の形にして書きだした作品です

そしてこの「神は沈黙せず」は山本弘さん版の「絶句」だと思いました。

他の作品みたいに「一歩引いた」感がない分、ダイレクトで、少し不快で、でも一番ググっと寄ってきます。と学会の会長でもある山本さんのオカルトへの深い知識、人の知性に関する信念、物語(フィクション)への想い..etc.etc。いろんな短篇や「アイの物語」で紡がれる主張の源・・を裸で見せつけるようなぐいぐいとしたパワーが魅力。だからこそ人と人だもの、曖昧なバッファ(緩衝地帯)がないから、すべてが心地よくというわけにはいかない、作品でした。


というわけで作品の内容。

本作は、「神様が本当にいたら」という SFです。と学会の代表という その手の知識の豊富さと SF的造型を併せ持つ山本さんの真骨頂というべきテーマ。神がいるならば、なぜ、神は善良な人を理不尽に殺すのか。なぜ神は無慈悲なのか。神に対して論理的に考えれば、神が人に行為をもっているようにも、正義を成すようにも思えない。神は人に悪意を抱いているのか?

同時期に起きる外惑星探査機の不思議な減速問題(これは現実にもあったニュースだ)、高解像度宇宙望遠鏡の映像に、惑星以外を移したとき「黒い規則的な点」が表れる問題。

世界各地で(現実世界と同じように)報告される超常現象の意味。スプーン曲げは?空から突然魚やカエルが降ってくる問題は?UFOの目撃談は?それらの「わけの分からなさ(ハイストレンジネス)」は何を意味するのか。科学的(論理的)にこれらを考えるなら?

さまざまな謎が焦点を結び、SFとして恐ろしくも面白い結論にむけ物語が進みつつあるとき、神がついに沈黙を破り人類の前に「奇跡」をあらわし始めた!

主人公の著書として、振り返りながら話を進めるスタイルが匠に読者をぐいぐいと先に引っ張ります。また、関連のないと思っていたエピソードが伏線になっていてたくみな物語の構成はさすが山本さんと感嘆します。はっきりいって、すごく面白い。

けれど、他の山本さんの作品よりもこの作品は読者を選ぶように思います。熱を帯びている分、共感できないと暑苦しく感じてしまうのだと思います。でもお奨め。


余談

枝葉すぎるところなのだけれど、わたしは「遺伝的アルゴリズム」の説明にクラっときてしまって読むのを止めようかと思ってしまいました。嘘ではないけれど本当というには躊躇する説明に読書熱一気に冷まされた、みたいな。

具体的には「発見的手法を行うアルゴリズム」と「発見的手法で作られたアルゴリズム」を「遺伝的プログラミング」という語感をキーに混同させて「プログラムを作るプログラム=人工生命」みたいな話になっているところ*1

でもしばらく読み進めて、これは故意の混同、物語としての「嘘」じゃないかな、と思いました。

2003年にかかれた作品ですが、その時点を振り返っても、当時の技術としても、当時普通に予見されうる未来と比べても「ずれている」ように思えます。たとえばケータイをケータイと呼ばない、ケータイにマイクロDVD 搭載されている下りとか。

SFの醍醐味は現実のなかでフィクションをできることで、その点本作はかなり本格的に「現実的」なのですが、なぜか(技術だけでなく世情の描写も)「ズレがあって」、わかりやすいのはお金の単位が違っていたり。

どうもこの世界の延長ではなく、この世界に非常によく似たパラレルワールドの、そのまた未来っぽいのですが、その意図はよくわかりません。

*1:遺伝的アルゴリズム」はアルゴリズムのものまね先が単に「遺伝」というだけ。例えばものまね先が「焼き鈍し」だってとこだけ違う「シミュレーティドアニーリング」を「プログラムをつくるプログラム=人工生命」みたいな話題に結びつけるには、もうワンクッションないと(たまたま使っているだけになるので)強引に感じる、みたいな不満です。あと「解」がプログラム、なら「遺伝的プログラミング」の方がよいんでないかな?とも思う。たとえ猿がシェークスピアをタイプできても