魔法遣いに大切なこと

JavaBlackさんち経由、Shibu's Diary: これから魔法使い(プログラマー)になる、新卒者のみなさんへ

わたしは JavaBlackさんほど反感を覚えなかったのですが、それはわたしが厨二病を拗らせて慢性化させているからでしょう*1スレイヤーズあたりを魔法の認識の礎のおいている痛い人間としては、プログラミング = 魔法 にあんまり違和感を覚えません。L様系の呪文はバグってるバージョンではパフォーマンスがイマイチだったりとか。あと魔法がクラウドだったりとか(Ruby-Eye AppEngine みたいな)。

「魔法遣い」と言われるには、普通の人が普通の人の常識ではデタラメに見えるくらいの手腕でなにかを現実にする技術を持っている必要があります。・・というかそういう相対的視点での超絶技巧が「魔法」と呼ばれるのでしょう。逆に何かが魔法に見えるということは、その何かに対して「素人」であると言えるかもです。

「戦うプログラマ」と「ゲド戦記」を並べるセンスはとてもいいな、と思いました。ゲド戦記は魔法が「魔法のようでない」シビアさをもって描かれている様が大好きでした。ハイタカ(ゲド)は、最初は自分のバグのデバッグで死ぬような思いをして、そのうち火消しプログラマとして世界のデスマーチに巻き込まれ、ひどい目にあってボロボロになっていきます。ハイタカ可哀想すぎ。だから 魔法=プログラミング で何もオカシくないと思うのです(夢も希望もないけれど)。

というわけで、魔法を「なんでも簡単にできてしまう方法」と思うなら「このシンドイ職業をそんななまっちょろい *ファンタジー* と一緒にしないでくれ」みたいに言うかもですが、ファンタジーで描かれる魔法使いはしばしばそんななまっちょろい者ではありません。例えばドラゴンランスのレイストリンが魔法を使う姿は心が痛みます。体力がないのに酷使されるし、頑張りすぎれば廃人になってしまいます*2。こうして見ると、プログラマーと魔法遣いって、意外に良く似ていません?

プログラマーの悲惨さと魔法遣いって悲惨さは良く似ていると思うのです。それは外からみると「訳がわからないうちに出来てしまう」から、なんでも出来て、何でも簡単と勘違いされてしまうという、不幸の根っこの部分から良く似ていると思うのです。

魔法遣いとプログラマーの「○○で在るために大切なこと」は結構一致すると思います。例えば、日々の研究がたいせつなこと、それは一生続く道だということ。鉄火場でもデスマーチでもテンパらないで「考えられる」こと、周りの焦りに飲まれずに呪文を唱える時間をちゃんと確保できること。体力で押し切ろうとすると廃人になるから無理をしないこと。邪魔されずに静かに研究できる環境がとても重要だということ。そして、魔法を使うことを愉しむこと!

こうしてみると、「なれるSE」は正統派ファンタジーなのかもね、と思ったり。


* * *


わたしは、自らのプログラミングが、プログラマー以外の仕事の仲間(アジャイル的意味で)からみて魔法にみえるようなプログラマで有りたいと思っています。だってカッコイイじゃないですか。まぁ、そうやって魔法を披露するうちに、「竹槍でB29を撃墜しにいけ」と背中を押されてしまうのですが。でも大丈夫、パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

逆に、魔法遣いにとってシンドイのは、「魔法を使うな」と言われることかもしれません。馬鹿げた方法を押し付けられる。

同じ部署の人たちにあわせるため、というよりは「おまえにはできるかもしれないけど、他の人には出来ないからやるな」と言われたため、自分の持っている技術の大半を封印した状態で仕事をしていた。「○○を使えばすぐなのに、どうしてこんなこと手作業でやんなきゃならないんだ」そう思う度に苦痛でしかたなく、なれるまでにはかなりの時間を必要とした。その苦痛から逃れるため、一時期はコンピュータ関係の新しい技術について一切の勉強を止めたし、学生時代も仕事も組込みだったため毎月必ずチェックしていたインターフェースを見ないようにした。

仕事ならなんでもやる(非合法なのはやらんけど)と考えていたが、結構厳しいもんだねぇ。

楽園から一歩踏み出してしまう - 並列メモ?

これはシンドイですよね...orz デスマブラックとどちらがシンドイかは究極の選択です(いや、たいていは同時にやってくるのですけどね)。

あぁ、きっと魔法遣いの在る世界でも、「マジカル土方」なんてのが居るのでしょうね、と厨二的にまた妄想を巡らすわたしでした。

*1:多分一生治りません

*2:大切な事なのでもう一度言うよ。廃人になってしまいます