盤上の夜
「盤上の夜」は、ゲームとそのプレイヤーを題材にした SF です。しかし そのテーマが SF的なものに依るわけではなく、あくまで人間とゲームを題材としたものです。
- 作者: 宮内悠介
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2012/03/22
- メディア: 単行本
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本編は
の6編からなります。別々の短編がより合わさって一つのテーマを描くタイプの作品です。このうち最初の2編をご紹介。
盤上の夜
「盤上の夜」は灰原由宇 という棋士と、囲碁の話。彼女は不幸な過去により四肢を持たない。しかし、彼女は盤面を肉体感覚として感じることが出来た。
「星が痛い――それは由宇にとって、一つの現実の肉体感覚だったのです」ここで、相田は堰を切ったように専門用語を並び立てた。「だから……星は由宇の中指であり、小目は薬指であった。高目は人差し指であり、さんさんは小指であった。跳ね継ぎはマイスナー小体であり、尖み付けはパチニ小体であり、桂馬掛けはメルケル触盤であり、千切り飛びはルフィニ終末であり……わたしの言わんとすることが、おわかりでしょうか。由宇は、盤面を肌で感じることができる人間だったのです。囲碁のある局面を、あるいはその過去未来の局面を、触覚としてとらえることができる。それが由宇の強さであり、それこそが他の棋士たちには真似できない点だったのです」
彼女を追う記者の視点から次第に明かされていく彼女の壮絶な過去とその先。架空の人物であるのに、まるでドキュメンタリーのようであるのは、この先の「人間の王」も同じ構成で、だからこそ、プレイヤーの生き様をテーマにした本作に、ぐいぐいっと引き込まれる。
人間の王
人間の王は、「盤上の夜」と打って変わって、実在の人物「マリオン・ティンズリー」を追う。彼は「チェッカー」というゲームで40年間無敗の王者であり、そして2006年、コンピュータに敗れた王だった。
最初、わたしはほとんど気にも止めなかった。だが発表内容をなんとなく反芻しているうちに、なにかとんでもないことを聞いたように思われてきたのだった。
――四十年間無敗のチャンピオン。
――それを機械が破ってしまった。
――そのうえ、まもなく完全解まで発見されてしまった。
おそらく著者は実際にかなりの調査や取材をし、ティンズリーを、チェッカーの滅亡を追いかけたのでしょう。ですが、ティンズリーはもはやこの世に無く、こうして架空の小説という形で書くしか、その内心を推し量ることは出来ない。
ティンズリーの怪物じみた強さ。その生涯で「十六敗」。しかし、それは学生時代の「覚え立て」の頃の戦績も含めた者で、実質三敗。負けた比率は 0.03パーセントという驚異のプレイヤーであり、彼はまた老いるほどに強くなっていく、恐るべきプレイヤーだった。
そんな彼がどのような気持ちでコンピュータと戦い、そうして敗れていったのか。その後葬り去られる「チェッカー」というゲームにどんな感慨を抱いたのか。
ティンズリーの生い立ち、過去が明らかになるにつれ、「人間vsコンピューター」というステレオタイプから想像されるものからは、どんどんとかけ離れていく。むしろティンズリーが怪物であり、コンピューター...プログラム「シヌーク」はその圧倒的な力を前になぎ払われる側の立場でした。
そうして伸びていくこの物語は、最後にSF的な仕掛けをもって閉じます。けれどもそのテーマははやり SFに依らない。
多分、このブログを読みに来るような方は、この「人間の王」がもっとも愉しめ、そして好奇心をそそられるのではないかと思います。
* * *
というわけで、「盤上の夜」。これは間違いなく傑作で、本当におすすめの SF です。いまなら Kindle でお安くなっているので、お手に取ってみてはいかがでしょうか。