影との戦い / こわれた腕環 / さいはての島へ

私が ゲド戦記 (原題は Earthsea、ぜんぜん明後日の訳題です) を読んだのは、ずいぶん子供のころでした。児童文学ですし。図書館の子供室においてあって、なんどもなんども読みました。(図書館に毎日入り浸っていた子供だったのです)

そんな大好きなお話ですが、もうずっと長いこと読んでいなくっていろんな事を忘れていました。十ン年ぶりに再びゲド戦記を読めば、物語だけでなく、それに影響を受けたこと、考えたこと、思ったこと、そっちも芋づる式に思い出して行き、それを思い出すのが楽しい読書でした。

ゲド戦記は 海と島ばっかりの世界、アースシー(Earthsea)の物語。剣はともかく魔法はあります。魔法を使うには 真の名をしらなくてはならないですし、だから本名は隠すもので、ゲドはハイタカと呼ばれていて、ゲトという名を知る人は世界で両手の指ほどもいません。これぞ「名前重要」です。

ゲドは物語でもハイタカと呼ばれる方が圧倒的に多いので、私の心の中でも彼はハイタカのほうがしっくり来ます。そのハイタカ竜王であり大賢人であるすさまじい力をもった魔法使いです。と聞くと、どんなヒロイックサーガ?って感じですが、ハイタカは、傲慢と考え無しで酷い目にあった次は、それはもう情けなく恐怖から逃げまどい、そして成長していく、なんとも人間らしさバクハツな主人公です。

ゲド戦記はどの巻も人間の内面ばっかを描いたお話ばかりで、冒険に胸を躍らせるお話では決してありません。私は子供のころから大好きでしたけど、こんなんで子供受けするのかなぁ、と一瞬でも思ってしまった私は、もう大人なのだなぁとちょっと悲しくなりました。子供は大人が思うより全然普通に大人然してるってことをなぜみんな忘れちゃうんでしょう。子供の頃「大人って自分が子供の頃もあったはずなのに子供の力量をなんでこうもわからないんだろう」って、あんなに不思議がっていたのに。

それどころか。今の私はこの本の展開を読むのにちょっと難しいなと感じました。手加減のない物語です。だけど子供の頃の私はそれをすんなり誤読もせずに読めていました。大人ってどうして子供に対してなんでも手加減したがるんだろうって、そういうのはつまんないだけなのにって、そう思っていた子供の私はゲド戦記は面白かったのですが、今の私はもっとライトなのが身の丈にあってそうなかんじ。どうやら私の頭は乾いたパンのように固く成りつつあるようです。ちょっとショック。がーん。

子供の頃しっかり読んだ本を大人になってから読み返すのは、本当にいろんなことを思ったり、思い出したりするものだとしみじみです。(全然書評になっていませんが、しかたがないです)

さて、驚いたことに芋づる式に思い出した事の中には、私の初めてのペンネームについてです。このペンネームは さいはての島へ に登場するドラゴン、「オーム・エンバー」にちなんだもので、今もこっそり使っているペンネームにも一部なごりとして残っています。しかしその由来をすっかり忘れてしまっていたのです。――人間ってちょっと忘れっぽさ過ぎやしませんか、ねぇ。