トイカメラとは何か、をちょっと考えてみる

せっかくなので、「トイカメラ」ってなんじゃらほい、ということを考えてみます。


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上のエントリでも断ったのだけれど、LOMO LC-A は「トイ」ではなく、ソ連でつくられたまっとうなコンパクトカメラです。だから「オモチャっぽいカメラ」というのでは、定義としてちょっと足りません。

写真の愉しみ方の二つの軸として、ちょっと過剰単純化気味に「写真(現実をキャプチャすること:綺麗≒情報量が多い)」と「光画(光で画を描くこと:綺麗≒インパクトのある画)」という二つを訴えてみました。二律背反というわけではないのですが、一つのカメラの中ではどうしても並び立たないこともあります。

日本的カメラの進化は「写真」に軸足を置いたモノで、それ自体は技術の進化がカメラの魅力に直結する 良いサイクルが回るからいいのですが、「写真」を邪魔する要素、たとえば「極端なレンズの味」とかが排除され、いろいろ中庸になっていきます。一報で 副作用である「撮影の気軽さが失われる」ことですが、自動化でフォローしたみたのはいいですが、そのおかげで失敗の愉しみ、またはそれを乗り越える愉しみが捨てられるという、失うものがどうしてもでてきてしまうのは致し方ないところ。

ここら辺を愉しむ筋として、レンジファインダーやオールドレンズを愛する おじさま達が昔から居たのですが、ここら辺のユーザ層の欠点として、新品のカメラを買わないこと、コレクターに成ってしまう率が高いこと(撮影しなくなる)があります。つまり、ユーザ層は厚くても カメラメーカやフィルムメーカを支える力は今一歩弱い、ということ。(現にライカブームにも関わらず、中古ばっかり売れてライツ社が傾いた、なんてことも)

で、業界的にそこら辺を考えると、現状の外来種「デジカメ」に追われるフィルムカメラとしては、クラカメ的な方向そのままでは少々厳しく、さらなる最適化の必要があると。それが「トイカメラ」、なんて。


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本当にデジカメは強くって、現像要らず、感度も途中で変え放題。ホワイトバランスが合わせられるとか、デジカメってだけでフィルムカメラに比べて便利すぎます。

そんななか、フィルムは生き延びる道を模索して、一時期は高解像度(中判カメラ)や高感度(NATURA シリーズとか)に活路を見いだしたりしたのですが、それは本質的なデジタルイメージングの弱点じゃないので、アッという間にデジタルカメラが改善されて既に虫の息になりつつあったり。

そもそも「写真」的な評価軸ですと、一眼レフ以上に「見たまま」が写り、その場で結果を確認できる 時点で、本質的にフィルムの負けなのです。写真の「写真」的愉しみは、どうしたってデジタルカメラのほうが優れてます。現実のキャプチャ精度と、キャプチャのコスト――単純なフィルム代という話ではなく、気軽に撮れる、撮りたいように撮れるという心理的なコスト、キャプチャーした情報の取り回しの良さ。圧倒的じゃないか、わが軍はっ!こんなのと正面切って戦うのは無謀過ぎます。


こんなの相手にフィルムがどう戦えばいいのか、というと「良いカメラ」の軸が「光画」側に思いっきり振ってみる、というのも一つの手よね、と思うのです。勿論「高解像度/好感度」作戦と同じく、ニッチがあるとわかればそこにはデジカメがやってきて競争になります。現に オリンパスの攻め込みは見事ですし、「トイデジカメ」という存在もあります。(もうやめて!フィルムカメラのHP は0よっ!)

でも、デジタルのメリットが実はデメリットになる、という、フィルムカメラにとってマクー空間なのがこちらの世界。(←な、なんてフキツな喩え..)

再び引用してしまうけれど、

実際、フィルム時代のパンフォーカス写真をデジタル移行検討時にスキャナで取り込んでみたが、ピクセル等倍ではやはりぼけている。と言うか、デジタルになって、MFで固定してパンフォーカス的な撮り方をしなくなってしまった。

まあ、いよいよ、来週ですなあ~ : ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX

何かこのどんなものでもAFできちんと合わせ、PC上で拡大してもピントがきちんと来ている事で得たものもあるが、失ったもの、チャンスも結構あるんではないかなとぼんやり思ったりするのである。

とは言え、どうしてもイメージとして一眼レフ=スクリーン上でピントがわかる=ピントをきちんと合わせると言うのを引きずってしまう。(中略)「開放絞りでみているからスクリーン上バックが少しぼけているけど、絞り込んでいるから実際は気にすることは無い」とわかっていても気になってしまう。

まあ、いよいよ、来週ですなあ~ : ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX

と、「出来るようになった」ことがデメリットになるのなら、フィルムカメラにとってのハンデがハンデじゃなくなります。

もちろんデジタル側でも「ワザとやらない」という選択肢もあります。例えば VQ1005 なんて、ビュー液晶なし、画像は VGA という素敵スペックで、トイカメファンの間で人気です。ですが、「その場で見られない」「拡大してみるのが面倒くさい」ということを わざとらしくなく実現できるのは フィルムの強みではないか、と思います。

デジタルでも実現可能なのだけれど、この「ワザと出来なくする」というスタンスが、デジタルとフィルムの勢力差によるハンデをも埋めてくれるのではないかしら。


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「どんな風に写っているかわからない」だから「どんな風に写るかな?と想像しながら撮る」のが愉しいです。その為には、「すぐに確認できないこと」も大切ですが、「現実がそのままには写らない」というのも大切です。現実を加工するということ、この場合、加工手段が一種類では詰まりません。つまり いろんな愉快な選択肢がユーザに提供されないと、業界としての魅力半減です。

けれど難点が一つあって、フィルムカメラはパイがとても小さくなったため、もう開発費を十分掛けられないということ。数が出ないから量産効果もイマイチですし、ユーザの心の中の価値も「フィルム」というだけで減じてしまうため、単価も上げられません。うー、踏んだり蹴ったり。

そこで生きてくるのは「トイ」という言い訳です。これが実に上手い仕組みです。

LOMO LC-A は ソ連製というアヤシサと造りの悪さはありますが、ちゃんとしたカメラなのでちゃんとしたコストが掛かる。今、新製品としてこのレベルの製品を作るのは、商売的にかなり無謀だったりします。にもかかわらずトイカメラが今も頻繁に新製品が出せるカラクリ、それは、まごう事なき「オモチャのような」カメラを作っているからです。

シャッター速度は単速、絞りは固定か辛うじて3段階。ピントは目測またはパンフォーカス。レンズはプラスチック。露出計はもちろん無し。概観はチープの極み。本質的には「写るんです」のフィルム交換可能版。性能的には戦前のカメラ相当。今時そんな製品が許されるのは「トイ」と名前に打つからです。

おかげで 超広角、魚眼モドキ、中判、パノラマ、ピンホール、二眼レフモドキ etc.etc.. いろんなバリエーションが増えて、撮影時現実湾曲をいろいろ愉しめたりできる生態系が構築できたり。

「チープ」の正当化と同時に、ただでさえ「出来ないこと」を増やしたら高くなるというのは中々受け入れて貰えないデジカメを、追い打ちで同じコスト制約の厳しい「トイ」土俵に引きずり込む、というのもちょっと上手い。チープでトイな、同じ土俵に引きずり込むのだ〜!・・・なんていうか、凄いマインドハックです。



つまりトイカメラは、もともとあった「光画的愉しみ」や「Lightweightな撮影」にむけ、現状の市場に合わせて味付けを変えたモノです。レンズやフィルムの味を「上品な味」から 「ジャンクフードのようなインパクトのある味」に 変えることで 誰にでも違いをわかりやすくし、現在の小さな市場でも作れる「原始的なカメラ」を「トイ的なカメラ」と言い換えることで悪いイメージ(難しそう、とか)を払拭すると同時に価格を抑えることでユーザ層の拡大を図った、そんなフィルムカメラの一つの生き残り戦略 じゃないかな、と思うのです。


トイカメラとは、変化してしまった現状ニッチへのフィルムカメラの適応だったんだよっ!

ΩΩ Ω<な、なんだって――!!? (また一つ、お莫迦なエントリーをつくってしまった)