そして、Emacs は旅立った

衝撃的なタイトルでついつい読んでしまうこちらのエントリ。

http://cx4a.org/pub/emacs-is-dead.ja.html

坊やだからさ・・ではもちろんなくって、

elisp は結構へっぽこだから、機能を作り込もうとするとどうしても外部プログラムになってしまう。それが Unix の哲学と、結果的にうまく馴染むのだが、、、実は、このelispの「欠陥」はな、Unixの哲学とEmacs を馴染ませるための意図されたモノ・・・「Emacs の思想」だったんだよっ!!!

ΩΩΩ<な、なんだってー!!?

ーーというお話。(で、この「思想」が近年 Semantic のような 外部プログラム化しない機能の台頭で、覆されようとしている=死んだ、と)


Emacs 自体を環境とかんがえるか、一つのアプリケーションに過ぎないと考えるか、という問題。わたしは「EmacsUnix的ではない」というイメージを持っていたので、「な、なんだってーーーっ!!?」と驚いてしまいました。

むー。そ、そうだったのか・・とは、素直には思えないわたし。(もちろん にわかユーザのわたしには「Emacs の思想」の本当のところは判らないのですが)

とりあえず思ったのは、Unix の考え方はともかくも、Unixの「すべてがファイル」という世界的には機能を「実行ファイル」の形にして分けたほうがよいのはそうなのだろうけれども、それで Emacs自身はそれで幸せになれるのでしょうか、ということ。

OOPをしてるとき、OSのファイル中心の世界(モデル)と、プログラムの中のオブジェクトの世界(モデル)の二つを両方扱う複雑さは、結構鬱陶しくて、物事を必要以上に複雑でややこしくしてくれるのだけれども、同じように、Emacs も全部 elisp でやれた方が幸せなのかも、と思わなくもない。特にシンタックスハイライトのような エディタにコアな機能はそんな気がします。

それが独善だ、というのは主張はわかるのです。

これは他のソフトウェアへの排他行為であり、社会的にモラルの欠いた行為であると私は考えます。

うにゅう。でもでも、それでも

Emacsのプラットフォームが優れているのは、OSと協調するからであり、それ自体が優れているからではありません。

と言われれば、わたしは「えーっ!?」と言ってしまう。だったら、Windows上で Meadowxyzzy を使い、逆に Windwos を xkeymacs で Emacsキーバインドに汚染してしまってる わたしは、何だというのさ...orz

つまり「えーっ!?」なのは、わたしが WindowsEmacs(的なもの)を使っているからなのですけれどね。

そういう意味でも一つ気になったのが、元エントリでいう「社会的価値」は Unix社会での価値であって、

これは他のソフトウェアへの排他行為であり、社会的にモラルの欠いた行為であると私は考えます。これが問題視されずにさらに進めば、Emacsのプラットフォームがさらに魅力的になり、その中に閉じたソフトウェアを作るインセンティブがさらに増大する恐れがあります。

も、Unix をからみたときの排他であったり。でも、Emacs は今のメジャーなPC OS、 WindowsMacLinux のどれでも動くテキストエディタだから、Emacs に閉じることは Unix に閉じないことでもあるのかも(いあ、これは屁理屈か)。

だから、「Emacs は死んだんじゃないわ。外の世界に旅立っていったのよ」とか言ってみるテスト。


* * *


本当にただの混ぜっ返しで、あんまり意味のあるエントリーじゃないのですが、ついつい、口をついて何か言ってしまったといいますか(^^; 若いオタクがとりあえず反論から入るみたいな感じ。

実は、ちょうどこんな本(↓)

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

を読んでいる最中にこの本を読んでいたので、なんだかとても興味深く元エントリーを読んでしまったというか。


混ぜっ返さないで真面目に考えれば、やっぱり

小さいものを組合せて大きいものを作り上げるという美しいUnixの伝統がEmacsには脈々と受け継がれています。そしてその美しさこそが、私が Emacsを使う最大の理由なのです。

には、やはり「えーっ!?」と思ってしまう。わたしの中のEmacs はデカくって、それだけで何でも出来ちゃって、だから Emacs に引きこもるのが幸せ。そんな散らかってるけれど快適な自室のような環境。そういうわたしみたいなのがどれくらいいるかは判らないけれども、多分そこそこいて、「えーっ」と思ってしまうからこそ、

しかし、それはもはや過去のものになりつつあるのかもしれません。美しさや思想が排除され、便益のみが残った世界に何の意味があるのでしょう。Emacsがそうなってしまうのは悲しくて仕方がありません。

みたいな方向が Emacs にとって悪いことだなんて、夢にも思わなかったというか、驚いた。(驚くということは 「Emacsの思想」をわたしはまったく顧みていなかったということで、それにはちょっと凹みました)