紫色のクオリア

もし、ライトノベルをいうものの定義を、隠そうとしない中二病とするならば、本書は最強のライトノベルです。そうでないなら、これは、ライトノベルなのでしょうか?

本作は、人がロボットに見えてしまう少女鞠衣ゆかり を中心に展開される物語、なのですが、予想を上回る怪作でした。

そのスタイルは、読んだらこれってアリ?──って絶対思うハズ。

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

本作は二本+エピローグの構成。一本目は、異常なクオリアを持つ ゆかりと その友人マナブの 異なる感覚故の友情の右往左往 + αなお話なのです(最後の最後のどんでん返しで「うわっ」となるのですが)。これはこれで普通に面白い作品なのです・・が、二作目のそら恐ろしい展開に、そんな感想はかるく吹き飛んでしまいます。人がロボットに見える+α(ネタバレ回避)?・・・そんなのはちいさいちいさい



一作目で世界の案内役として、普通の人として普通の人の(つまり読者の)視点を提供していた波濤マナブは、そのままの役割で 普通の人を超越します。ある意味「読者の(作者の?)」視点に達してしまった彼女は、ただ一つの目的のために「世界(比喩ではなく、本当の意味で)」を敵に回します。たった一人で?世界と?・・・波濤マナブにはそれが出来てしまう。

この作品を異常なものにしているのは、この作品が徹底的に閉じているのです。敵の存在も仲間も舞台も、シンボルに徹しすぎていて(悪く言えば薄っぺらい)、だから波濤マナブの中に世界が閉じきっているのですが、それこそが本作の醍醐味でもあって。

世界に対して組み合わせ最適化問題を解くかのような彼女は、たったひとつの幸せの解に至る前に、ローカルミニマムにつぎつぎとブチ当たり、そしてそれを超えていきます。そのログをそのまま綴ったような本作は、それゆえ SF にも 物語にもなれませんが、捨て置けもしない、あー、なんだかよくわからない。



量子力学を空想のおもちゃにする作品は沢山ありますが、その徹底した弄び方において本書の右にでるものはないと思います。いろいろ評価がわかれそうな小説ですが、わたしは、うーん、面白かったかな?