いろいろ

なんか気がつけば2月もおわってしまいました。色々忙しかったですからにゃ〜。わずか1機の赤ちゃんが家に居るだけで、こうもいろいろ振り回されるとは・・・。お仕事方面もいろいろあったしなぁ。

そんなこんなで、気力不足でなにもしなかったのですが、だからといって、頂いたコメントを1月以上も放置とか、ありえません。ごめんなさい。

ネタメモだけは作っていたのですが、なんか完全に旬を過ぎてしまっていますね。時系列とかバラバラですが気にせず いろいろ、行きましょう。


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まずは、旬の話題、eneloopですよ、エネループ

なんか、みんなデザイン面で「エネループは死んだ」的な話が盛り上がっておりますが、技術面でもエネループが今回死んでしまう(かもしれない)のは、あんまり話題になっていないよね、という点。

例のパナソニックのページを見ると「NEW エネループパナソニックの技術で更なる進化へ」とあります。

(写真)
http://panasonic.net/energy/eneloop/jp/

もともと エネループとエボルタは市場の2強だったので、吸収合併により一緒になってしまうのは独占禁止法上 アレだったので、エネループを作っていた 三洋子会社を FDK(富士通子会社) に売却した、という経緯がありました。で、今のエネループはこの FDK が生産し、パナソニックに納めています。要するに、ホントにサンヨーのエネループがそのままで、今の今まで生き残ってきたのですね。

で、今回のリニューアルからいよいよ自社生産に切り替えるっていうことかな、と思ってます。

そもそも、「電池の松下」的には現状の体制は面白くないんじゃないかな、って思います。例えば、今のエネループに「SANYO」としっかり書いてあるのは、電池の松下的に自社生産じゃない電池に自社名を入れるのはプライドが許さない、ということだったのかも。なので自社生産への切り替えはパナソニックにしてみれば念願叶ってだったんじゃないでしょうか。今回のあまりにあまりなデザイン変更はその蓄積された鬱憤が爆発しちゃった結果かもしれない。

普通に考えれば、このデザイン変更がエネループというブランドを潰すことになるのは自明で、それは勿体ない愚かなことです。ブランド潰し自体が目的でないかぎりこのデザイン変更はナンセンスだと思います。てことは、やっぱりそれが目的かしら。

そんなふうに思う一方で、上記のような「やった!ついに自社の純血をまもれたぞ。ひゃっほーーーっ!」的なリビドーがほとばしった結果かも知れ無いとも思います。松下のブランドに対する変な迷走と、エネループ後のニッケル水素充電池で唯一EVOLTAよりもPanasonicとでかでか書いてた松下のアレさ加減を思えば、こちらの説も説得力が出ちゃうのが困った所。

本当の気持ちは秘密だよ。秘密だよ。


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というわけでエネループの暖簾はパナソニックに持っていかれてしまったわけですが、エネループの技術の継承者を求めるのならば、「富士通充電池」が ほぼエネループ相当、無印良品の充電池がエネループライト相当のようです。

ただ、富士通充電池は、ネーミングとデザインがあまりに直球すぎて、さすが富士通というか、富士通ってどうしてこう、なにをやっても垢抜けないのでしょうね。


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このエピソードから思ってしまうのは、独占禁止法ってなんだろうね、と思います。結局このケースでは 生産設備とかじゃなくってブランドが大事で、ブランドをパナソニックが引き継いじゃったら何もならなかろうにとおもったり。


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デザインとして語るならば、新しいデザインは最悪というのは異論が無い所堕とおも居ます。最悪なのは3点。

  • 電池の種類の区別が非常にわかりにくくした
  • eneloopeneloop と認識できなくした
  • 単純に美しくない

一番目がもっともダメダメな点。本来区別のため目立たせなくてはいけない違い「eneloop」「eneloop lite」「eneloop pro」を、読ませないためのグレーの文字色の方に移動させてしまったこと。これは 設計としてアレすぎます。EVOLTA が乾電池と充電池の両方があって、分かりにくいということを しでかしているパナソニックですから、外観デザインに対して適切な設計ができる力量がないのでしょう。

今回のデザイン変更で、電池の種類を色で見分けさせるカラーコードのような事態になってしまったのですが、これは エネループのカラバリ展開にも影を落とすなぁと思ったり。

充電池は沢山あると個々の識別がわかりにくくなりますが、そこにエネループ のカラーバリエーションはうまくつけこんでるなぁ、と感心したものですが。これも過去の話になってしまうのかしらん。

二点目、ブランドの強みをまったく行かせないのは おマヌケではありますが、eneloopブランドを潰したい意図があるのなら、計画どおり・・というところでしょうか。

三点目は、まぁ、日本企業らしいよね。美醜の話はナンセンスと思われがちだけれども、大切なことだと思うのです。所有するものに対しては、人はその見てくれに拘るものです。どうせなら美しい見てくれのものが欲しいよね。乾電池とちがって充電池は所有するもの。なのに使い捨ての乾電池の文化を引きずってゴチャゴチャ醜かったデザインを変えたエネループの功績は偉大でした。

この件に限らずパナソニックは、本当に酷いデザインがお好きなようで、たとえば 最初はシンプルで美しかったデザインの LUMIX G シリーズのレンズが、やれ HD やら X やらでゴテゴテの勲章だらけの無残な有様になってしまうとか。貧者のデザインよね。

まぁ、そういう企業文化なのでしょう。カタログには無理やりこじつけた「世界最小」「世界初」が踊っているとかを見るに、営業がやたら強力なのかな?と思えます。


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Kindle Paperwhite 落としたら、勝手に本をガシガシ買い物されてしまったという話。

ペアレンタルコントロールや起動パスワードを設定するのが安全だけど,面倒だというのも事実.それを入れちゃうとKindleの手軽さが台無しになるからね.「落としたら困るから、サイフに鍵かけろ」的な議論だ.

ネタ「Kindleを落として不正利用された」 - カレーなる辛口Javaな転職日記

JavaBlackさんは Kindleのセキュリティを擁護しているけれど、あたしはちょっとなー、と思わなくもない。

端末の起動にパスワードを掛けるのは、端末の性格上あんまりやりたくないなぁ、というのは同意です。本を閉じたり開いたりにパスワードは掛けたくないなぁ(鍵付き日記帳は 中二的に燃えるアイテムですけれど^^)、と思っちゃう。その一方で、Kindle は書庫でもあるわけで、書庫覗かれちゃったりとかは嫌ですね。リアルでも見せ本棚ならばともかく、後ろの方に隠した本とか、ベッドの下とか、たとえ友達といえども家探しされたくは無いはずです。それと同じ。

けれどこの話の本質は、そっちよりもやっぱり [1 click で購入] なのが良くないってところかな、と考えています。

Kindle Paperwhite のような、端末自体に認証を掛けないことが普通に想定されるハードウェアならば、なおさらショップでの購入確定前にパスワード入力を促すべきで、そっちがデフォルトであるべきだと考えます。

ただ、これは わたしの──というか、PC慣れした人間の意見ですし、売上減にもつながる話なので、異論は全然有りだけれども。それこそ、JavaBlackさんは

全体のリスクと利便性を考えると,そういう対応もありだろう.

という話に落ち着くのですが。便利って難しいね。


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とはいえ、Kindle本のご購入払い戻し、買った直後にでるダイアログを閉じちゃったら最後、すげー面倒くさいのよ。1Click購入をするなら1Click返品も欲しいなぁ。


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この件でちょっと思ったのは、わたしもう電書蔵書が200冊超えてしまったのだけれども、このペースで増え続けるなら、誰かがいたずらで 10冊くらい 買ってしまっても、電子汚部屋に埋もれてしまって気が付かない気がします。多分来年くらいには。

やばいなぁ。


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JavaBlack さんの Kindle SF 全集の「ラノベだかSFだかよくわからない」を見てちょっと思ったのだけれども。

ラノベという呼び方が出来てから、当時そんな呼び方がなかったものまで遡って「ラノベ」にされてしまったのであまり意識しないのですが、〜90年代頭 あたりまでの角川スニーカー文庫富士見ファンタジア文庫で許容される作風と、現在「ラノベ」といわれるレーベルで許容される作風って、重ならないと思います。

具体的にはラノベレーベルでは「聖エルザ」は出せても「パンゲア」は出せないだろうな、ということ。

2010年に ハヤカワJA でラノベ作家がゾクゾクSFの新刊を出していた時期があるのですが*1、この時かかれた「スワロウテイル」シリーズとか「星の舞台からみてる」とかは、やっぱりラノベレーベルでは難しいと思う。彼らがラノベレーベルで出していた作品は、やっぱり「ラノベの枠」に逸脱しないような「枷」のある作品でした。でも、かつての「ジュニアノベル」とかなら出せたかもなー。

ただ、「スワロウテイル」とか「星の舞台から..」はSFといって良いとおもうけれども「約束の方舟」はSFだろうか?とは思います。すごく好きですが。



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アニメのヤマノススメ。これ、すごいですねー。あんなに短いのに窮屈さを感じさせないのは素晴らしいです。4コマの一話くらい の感覚をそのままアニメに落とせているので、それにちょっと感動でした。


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MD部長リるなちゃん。わたしとしては、かつて同人誌を作っていたときに、コミケットで抽選落ちをして委託したサークルのお隣さんだったという思い出がありまして、ちょっと感慨深いです。

それにしても伏せ字。。。


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ようやく光回線の工事が終わり、自宅ネット環境が復活しました。これでサーバーがやっと動かせる〜。

さて、光回線、お値段の安さとかの動機で au ひかり にしたのですが、au ひかりって PPPoE じゃないのですね。配布された「ホームゲートウェイ」がWAN側の口になっていることが前提のネットワークで、線を繋げばネットワークも繋がる点はいいのかもですが、自由度全くなしですね。

あと、無線LANを使うと新たに月々420円づつ取られるというのもわけわかりません。ホームゲートウェイAterm BL900 自体には無線LAN機能がついてるのにね。

で、自前ルーターを使おうとMACアドレス偽装とかやってみたのですが、結局24時間毎にやってくるIEEE802.1X 認証をくぐり抜けることができませんでして、おとなしくホームゲートウェイ を使うことに致しました。ま、いっか。


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自宅ネット環境が復活したので、久々にオラタンで対戦三昧しました。対戦相手が普通にゴロゴロしているのはとても幸せなことだなぁ、と噛み締めまする。

あたしはゲーセンで「基板買っちゃったほうがお得かも」ってくらいコインを突っ込んだくらいの廃人でして、でも対戦ゲームって相手がいてこそのゲームだから、例え基板を買っても、家庭用ハードに移植されても、ほんとうの意味では家で環境を再現出来ないという問題があるなぁ、と思ってました。もちろん サターンのX-BAND ですとか Dreamcast ですとかに、その「おうちゲーセン」の夢は見れたのですが、まだ「夢の先取り」感はありました。

一つはサーバー運営の費用の問題、ユーザー数が減ると立ちゆかなくなるのはしかたがないことです。サービス終了が環境の終了なので「好きなゲーム環境をお家で永続化」にはちょっと遠い、そこが「夢」の域を出ない点でありました。

また、ユーザーに課金するスタイルだと、やっぱりそこは、インカムの力学が働いてしまって、ロングテールにはなりにくい。プレイするのにお金を払うスタイルだと、飽きとか自分のなかの価値の暴落(散々遊びこんだ後には下がるよね)により、どうしてもユーザーが離れていってしまう。*2

XBLA で対戦できるようになって、Xbox全体でサーバー代を課金するスタイルは、対戦ゲーム環境のロングテール化には理想的だなぁと、しみじみ感じ入ってしまいます。


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そうこうする間に OMG (初代バーチャロン) の配信が始まりまして、こないだ初めてダウンロードしたならば、ドリキャス時代のネット対戦あいてに早速つかまりまして、CPUよりも先に その方との対戦三昧、30連敗....orz

全然手がおぼえてませぬ(T△T


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ソースコードというウイルスプログラム」に関する雑感。

「ソースコード」と呼ばれる遠隔操作ウイルスのプログラムに多くのプログラマが戦々恐々 - さまざまなめりっと

最近の技術/科学用語はカタカナ語に音訳して日本語化されています。これは技術者にとって頭に対訳テーブルを持たなくて良い分楽なことなのですが、今回のコレは一般の方向けにはこれが良くなかった、という事象なのかもしれまですね。

それっぽい漢字で意訳してた一昔前の日本語化のほうが、正確な語義を知らずとも、文脈と漢字の意味を照らしあわせてバリデーションできるので、一般人に対しての間口は広いのかも。


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さて、そうであれば、さしずめソースコードは何に成るのでしょうかね。源譜?命令譜? プログラム譜?

個人的には「設計譜」と読んでいたらPG/SE的な何かは生まれなかったかもと希望的観測。

中国語では「源代碼」と書くらしいですね。「代碼」が Code らしいのでそのまんまですね。


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お仕事で、あとちょっとでLLVM 使えるとこだったのに!不景気のバカ!


で、今なにをやってるかというと、なぜだか わたしのプログラマ人生、わらしべ長者みたいに じわじわ、かつ どんどん とハードウェア寄りの仕事にシフトしてしまっています。個人的には「特定マイコン(っぽい何か)向け開発環境開発」で止まってくれれば嬉しかったのですが...。

というわけで Hello RTL。こんにちは VHDL とか SystemC。……という素敵な領域に。ジョブチェンジによりまたもやスキルが新人レベルにリセットととな。それにしても右も左も全然わかんない。

バグるとヤバヤバな緊張感は、ROM焼きしてた時代のファームウェア開発のようで懐かし胃が痛いです。


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本棚整理をしていたら、恐竜惑星のコミカライズが吉富昭仁でビックリ。恐竜惑星のファンというだけで購入していた本だったのですが、まさか○十年後に吉富さんの熱烈なファンになろうとは、昔の自分も思ってはいないでしょうに、なんたるナイスコレクション。GJですよ > 昔の自分


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amazonkindle化リクエストを出すと何かいいこと有るのかな?・・・と思っていたのですが、先日 Amazon から「リクエストしていた本が Kindle書籍になりましたっ!」的なメールが届いて、なるほど、こういうご利益はいいな、と思った次第。

具体的にはこちら。

未完少女ラヴクラフト

未完少女ラヴクラフト


早速購入致しましたとさっ。


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なんか最近巷を賑わせている 動的型と静的型のお話ですが、元気があったらそれと

オブジェクト指向言語のはなし あなたはなにを選ぶのか―Java、Eiffel、C++?

オブジェクト指向言語のはなし あなたはなにを選ぶのか―Java、Eiffel、C++?

  • 作者: イアンジョイナー,Ian Joyner,白根健司
  • 出版社/メーカー: ピアソンエデュケーション
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 23回
  • この商品を含むブログ (8件) を見る

の本をネタに炒めて一本何か書いてみたいな、と思ったり。

静的型チェックといえば、去年末は静的解析ツールの評価のお仕事をしていたのですが、そちらのほうの○○○な結果を赤裸々に語りたい一方で、それはちょっと喋れない大さまの耳はロバの耳。

最近、禁則事項です♪とか、著しく身バレしそうだとか、一般化が難しいとかとか、そんないろいろで、仕事からブログのネタが全然ゲットできないのは悲しい。


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ところで、Kindle Paperwhite を買って結局なにが一番幸せかというと、創作同人小説が一杯リリースされていて、毎日がコミケの創作ブースとかコミティアのようだということ。しかも安い!

長すぎる電車通勤の中でガツガツ貪るように読み漁っているのですが、やっぱりフリーダムな同人作品はいいなって思う。面白しろいの型にハマっていないとか、おちないとか、つづく、と言っておいて続かないとか、実にフリーダム。

ただ、こういう多様性に触れるのが初めての客層に 電子書籍は扉を開いてしまったから、それゆえ酷評されたりとか、いろいろ心を折られるようなことも起きると思う。コミケットではわざわざサークルに出向いて「つまらない、損した!」とか言いに来る人は居ないけれども、レビュー送るだけなら簡単だしね。

disられるというのはdisっている人や、まわりで見ている人が考える以上に本人には答える物でし。一度 dis られてみないとなかなか実感出来ないと思う。

「disられる覚悟が無しに作家になるな」は、そういう強さがないととても表現なんかしていけないという意味で真だけれども、こうも簡単に読者が触れられる世界では、それは真でないと思う。

disられないぬるま湯環境と言えば駄サイクルです。

参考:自分の安地を作っていないか?「ネムルバカ」にみる駄サイクルの恐怖。 - たまごまごごはん

同人誌即売界は、ちょっと大きな駄サイクルだという側面は否定できません。あそこには読者であると同時に作者でもある人が多く徘徊しているし、readonly な人達も わざわざ足を運んで 素人の割高な作品を買い求めるような変わり者揃い。褒められるために褒めるような直接の相互関係はあまりないけれど、蓼食う虫の豊富さにより全体としてみれば駄サイクルが完成する・・という幸せな場だと思う。

まわりの友達が褒めてくれる、即売会で本を出したら買ってくれる人がいたっ!その本に感想のお手紙が届く!!・・・・・というのはとても嬉しいことだったので(一週間はニヤニヤが止まらないくらい)、わたしは この場を酷く肯定的に捉えています。

で、これに相当するネット上の駄サイクルな環境は、あるにはあるのだけれども、モヒカンがヒャッハーしにくる狩場でもあるからなー。保護区のようなものが出来ないかな? とは常々考える次第だけれども、SNS の惨状をみるに良い仕組みの発見には今だ遠いのが現実です。

なので、同人誌小説を商業小説が一見見分けのつかない状態で玉石混交とばかりに売られる Kindleストアをみるに、自分の買いやすさ的に嬉しい反面、この先大丈夫かしら、と、ちと不安にもなっています。


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実際、俺もそう呟く側に回るのだろう。アーケードゲームからの引退・シューターとしての死が、すぐそこまで迫っている。仕事に就いた頃の悲観的予測よりはずっと善戦しているというか、ゲーム技能をこの歳まで温存し続けたことを嬉しく思うし、自分が積み重ねてきた体験が無駄だったとも思っていない。『レイフォース』『バトルガレッガ』といった青春時代のシューティングゲームをいつでもクリアできるのも、嬉しいことではある。
 
 けれども、ゲーセンに行って『怒首領蜂最大往生』や『ダライアスバーストAC』を遊ぶためのコストが、いよいよ支払いきれなくなってきた。ここ数年、衰えた動体視力と反射神経に鞭打って戦ってきたのは、無限の後退戦――衰えていく自分自身を直視し続けるゲーム体験だった。かつて俺はゲームの上達プロセスを愉しんでいた筈だった。しかし今は、ゲームを愉しんでいるのか、それとも自分の衰えと戦っているのか、よく分からなくなってきている。

ソーシャルゲームよりゲーセンのほうが「高コスト」問題 - シロクマの屑籠

ぎゃあぁぁぁ、あたしもだ...。

バーチャロンが好きでバーチャロンしか特訓してきていない あたしだけれども、もう90秒集中力が持たない。回避戦になると、どこかで息継ぎが持たなくなって被弾してしまう。追撃戦で敵を追い詰めるあと一歩の粘りはもう出ない。相手の動きを読んだり誘導したりするスキルの未熟なあたしは、本当に我が身の衰えを痛感します。

──バーチャロン、ごめん。もう勝てない。

*1:いまでもちょびちょび出てますが

*2:脱線: この論理は、ネトゲが「定額課金」より「基本無料」スタイルの方が 収益モデルとして合っている理由にも当てはまるかも