失われるハンドアックス(あるいは、モヒカン族の衰退)

わたしもあまりアクティブなブログ更新をしていなくって、ROMってばかりなのですが、最近良く感じるのが、私が依存していた はてブ と Blog をベースにしたコミュニティって結構死に体なのかなということ。

わたしがプログラミング関連の記事をよく書いていた頃は、はてなブックマークなどをグルーにゆるく結合されたblog で作られたコミュニティがあって、いろいろと面白い議論をしたりコテンパンにやられたり、という楽しいことを繰り返してきました。

何かの情報に出会った時、本当は内容で評価するのがよろしいのだけれども、いっぱいの情報を前に人はそれをちゃんと確認することが難しいから、「あぁ、この人が言っているなら一理あるはずだな」的な信頼を blog という形で積み上げるのは情報処理の方法として結構有意義だったと思います。

ぱっと開いた画面のデザインを見て、眉唾度が視覚的にスイッチするというのは人間的です。

そういう自分の中の積み上げがなくって、ちょっと判断つきにくい情報は、飲み込む前に はてブを見てそれをバリデーションとするのはとても便利です。はてブのとても凶暴なモヒカン一族は、バリデータとしてとてもよく機能します。

そういう自分の使ってきた整理術がうまく行かなくなってきたな、と感じたのが去年です。


* * *


いろいろ小さい違和感の積み重ねでの感覚ですが、大きく印象に残る2つがありました。

ひとつは、こちら様の記事

「オブジェクト指向でなぜつくるのか」を読んだ ✘╹◡╹✘

に対する反応です。

この記事は「オブジェクト指向でなぜつくるのか 第二版」のレビュー記事なのですが、結論として「良い本・読みたいなら読むべし・野崎まど*1」として紹介しています。

この記事のハテブに「この本はダメ!」というコメントがほとんどつかなかったことと((加えてJavaBlack さんのいつもの disり芸を発動させなかったこと)に驚きを覚えました。

はてなブックマーク - 「オブジェクト指向でなぜつくるのか」を読んだ - ✘╹◡╹✘

ここのコメントが伸びるのを当時リアルタイムにみていたのですが、ch1248 さんのコメントがつくまで「この本はダメです」という意見はなかったですし、最終的にこのコメントが唯一のものになりました。

(個人的には

naska 帰りたまえ。彼が、残された右腕で触れるオブジェクト指向が、こんな陳腐でありふれた、そこいら辺の、誰にでも手に入る乳房でいいはずがない

帰りたまえ。彼が、残された右腕で触れるオブジェクト指向が、こんな陳腐でありふれた、そこいら辺の、誰にでも手に入る乳房でいいはずがない - naskaのコメント / はてなブックマーク

のコメントが大好きです)

「つっこみがない」のの是非自体じゃなくって、衝撃どころは「このコミュニティのメンツならば絶対こうなる」と予測した反応でなかったこと(議論のぶつかりがなかったこと)で、そこにコミュニティの代替りを実感したのです*2


もうひとつは、関数age オブジェクト指向dis の流れの中のいくつかのエントリー。昔は関数型に触れるエントリーは良く言えば知的というか、平たく言えば「いっちゃってる」レベルの記事があふれていましたが、普及しだしたからか、玉石混交な感じになりました。良い記事や普通の記事が増える反面、勢いがあって浅い考察の記事もあふれるようになりました。

こういう流れが生まれるということは、関数型プログラミングが バズる 息吹を実感して嬉しいのですが*3、こういう 浅い記事の場合、趣旨がどうであれ、その浅さを徹底的に打ちのめすモヒカンがワラワラと消毒しにやってきたのですが、あれれ、あんまりモヒカン見ませんね、と思いました。

まさに絶好の獲物なのに、かれらはどこにいったのでしょうか。


* * *


たまたま OOP界隈でご近所さんなせいか、わたしには マッチョでモヒカンなはてな村民 といえば JavaBlack さんというイメージがあります。


かつての JavaBlack さんの有無をいわさぬ襲撃っぷり*4は凄まじい物がありました。
まさに、モヒカンの鏡といってよい勇猛さがありました。


JavaBlackさんは はてなのマッチョでモヒカンな側面をわかりやすく体現されていましたが、はてな村民(プログラミングクラスタ)は誰しも心の中に ちいさな JavaBlack さんを住まわせている・・というのがわたしの持論です。まともなおだやかでこだわりのない 人間が村民になれる、そんなところではありませんでした。

わたしもモヒカンの一匹であったので、殴りかかってきたJavaBlack さんと ハンドアックスの応酬を繰り広げてヒャッハーと愉しんだことがあります。ちょっとでも隙があれば斧が飛んでくる。隙がなくても意見の相違があれば飛んでくる。ハンドアックスの応酬は はてな村では珍しい景色ではありませんでした。いろいろ言われますが、はてな村の魅力はここにあったと思います。

みんなが玄関先によく切れるハンドアックスを常備していた、そして切れ味を磨くための努力に余念がなかった――そんなふうに思います。

ここ最近の JavaBlack さんのエントリーをみると、JavaBlack さんもずいぶん丸くなったなぁと感じてしまいます。その穏やかさにもはや「モヒカン」という形容詞はふさわしくありません。

それは JavaBlack さんだけかな?と思っていたのですが、ふと見回せば、それがはてな村民のもっていたはずの心の中の小さな JavaBlack さん がみんな丸くなっているように感じました。

気づけば、わたしの家の玄関先に立てかけておいた素敵な斧も、いつのまにかなくなっています。

こうやってコミュニティは緩やかに若さを失っていくのだなぁと、思うのです。


* * *


ここまでだと、ちょっといい話っぽいのですが、切実に困ってしまっていることがありまして、わたしの情報のキュレーションで このコミュニティに依存していた部分をそうそうに置き換えないとダメですね。やばいやばい。

どなたか世紀末で素敵なモヒカンが住まう村、紹介して頂けませんか?

*1:個人的には巻末のリストに 「2」が含まれないのを大変遺憾に思っております

*2:そういえばこの実感は、わたしが Git のエントリーで なんだかすごいブクマを稼いだ時にもありました。うまく説明できないのですが、ホームであるはずのはてブがなぜだかアウェーのように感じたのです。自分が サーカスの見世物になっている感覚がありました。(不快という意味ではなくって観客との距離という意味で/ブックマーク・閲覧くださった皆様はありがたく思っております)

*3:OOP 好きとしては個人的にはムカっとくることは多いのですが

*4:最初は「狂犬ぶり」と書いていましたが、JavaBlack さんに失礼かつ、「(問題がある(と氏が思われた)論説の論者に対し、相手が素人であろうとベテランであろうと)無差別かつ無慈悲に襲いかかる」という意図を歪めてしまう表現だったので訂正いたしました。大変失礼いたしました。