澪カメラの魅力

けいおん! が最終回を迎え、残すところあと1話になりました。(←なんのこっちゃ、という人は けいおん!を見てください)

けいおん!には、作中登場物が売れてしまうという変なブームがありましたが、それに乗り遅れたのが LOMO LC-A と LAMY Safari でした・・・・と思っていたのですが、 Safari はなんだか売れちゃってますね。裏切ったな律ェ!(←違)

このままでは悔しいので、澪カメ こと LOMO LC-A が欲しくなるようなエントリーを書いてみようとトライします。うふふ。


最初に誤解:オモチャのカメラじゃありませんことよ

「オモチャのカメラなのに30,000円は高い!」という声を耳にします。LOMO といえば トイカメラの筆頭ですし、他のトイカメは殆どが高くても10,000円くらいですから、そう思うのも無理はないです。でも、そもそも LC-A は「トイ」なカメラじゃないのです。

もともと、LC-A は ソビエト連邦の普通の コンパクトカメラとして誕生しました。オリンパスXA に端を発する プラスチックでボディケース無しでポケットに忍ばせられるという「コンパクトカメラ」ですが、それの直接の影響を受けて作られた コシナ CX-2 を、ソビエトが自国用にコピーしたのが LC-A です。AFや内蔵フラッシュはついていませんが、これはこの当時 日本のカメラだって付いていなかったもの。露出計も自動露出もついた、当時のコンパクトカメラとして、意外なことに真っ当な、ちゃんっとしたカメラをしてるんです。(・・・でも、共産圏特有の品質の悪さはあるのですけどね ^^;)


そんなこのカメラが西側で注目を集めたのは、20世紀もおわろうかという時代。西側ではこのカメラと同世代のカメラなんて、とっくの昔に滅びていました。つまり LC-A は「生きている化石」だったのです。この生きている化石で写真をとることが愉しいなんて、進化したカメラを手にした目から、鱗がポロポロだったのです。


魅力その1 : Lightweight な撮影

写真は、現実のキャプチャリングをする「写真」と、光を使って絵を描く「光画」という二つの愉しみの軸があります。今も昔も圧倒的に多くの人が「写真」の方を愉しみます。記録することを主軸に愉しむから、ピンぼけ、手ぶれ、後述するレンズの癖 等等、「写し」の情報量を下げるようなものは悪になります。また、こういう「キチンとした写真」を撮るのは 労力と技術がいるものだから、副作用として撮影は気分的に重いもの(=めんどくさい)になりがちです。もっとパシパシ気軽にとってみたい。

日本のカメラメーカが キチンとした「写真」と 撮影の気軽さを両立するために選んだのは自動化です。収差の少ない画角も選び放題のズームレンズ。見たままが見える一眼レフファインダー、自動露出オートフォーカス。デジタル時代になれば、コンパクトカメラであっても背面液晶ファインダで見たままが見えるようになり、更に撮ったその場で確認出来ちゃう。まさに技術の勝利だなぁ、うん!(←ジャン君風)

でも、なんか違ったのです。

わたしは文章が下手なので、上手くここら辺を説明できそうもないので、文章の上手い人の記事を引用して説明しちゃいます(ようするに手抜き)

好んで使ったのはPenFでなく、EE,EES2系やこれの兄貴分のTrip35などである。既に定評のあるD-Zuikoをパンフォーカス、もしくはゾーンフォーカスの決め打ちで、とにかく「おっ」と思ったらシャッターを押すと言うイメージ。ぼけだとか、ピクセル拡大でピンとがどうこうと言うのは無縁のところだが、フィルムの時のあの感覚の速写性をもう一度味わいたいものだと思っている。

まあ、いよいよ、来週ですなあ~ : ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX

この愉しみを 一眼レフや デジタルカメラは阻害しがち。

実際、フィルム時代のパンフォーカス写真をデジタル移行検討時にスキャナで取り込んでみたが、ピクセル等倍ではやはりぼけている。と言うか、デジタルになって、MFで固定してパンフォーカス的な撮り方をしなくなってしまった。

まあ、いよいよ、来週ですなあ~ : ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX

何かこのどんなものでもAFできちんと合わせ、PC上で拡大してもピントがきちんと来ている事で得たものもあるが、失ったもの、チャンスも結構あるんではないかなとぼんやり思ったりするのである。

とは言え、どうしてもイメージとして一眼レフ=スクリーン上でピントがわかる=ピントをきちんと合わせると言うのを引きずってしまう。(中略)「開放絞りでみているからスクリーン上バックが少しぼけているけど、絞り込んでいるから実際は気にすることは無い」とわかっていても気になってしまう。

まあ、いよいよ、来週ですなあ~ : ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX

「写るままが見える」「写したモノを容易に拡大することが出来る」は、本当は「良いこと」として語られますが、心理的な重さとなってシャッターを押す指を鈍らせる。たとえ「自動化」したとしても、実は 心理的軽さ――Lightweight さをスポイルしてしまうというコト。ふむむ、「気軽さ」ってのはかくも難しいことですね。

ここらへんの魅力を良く伝えるナイスハックな言葉が、Lomography の 10のゴールデンルールです。

01 : どこに行くにもLomoをつれていこう。

02 : 昼でも夜でもいつでも撮ろう。

03 : Lomoは人生のジャマじゃなく、人生の一部です。

04 : できるかぎり被写体に接近して撮ろう。

05 : 考えるな!

06 : 早く!速く!

07 : フレームにどうおさまるかなんて、知ろうとしなくてOK!

08 : 何が写ったか、わかんなくてもOK!

09 : オシリの位置からも写してみよう!

10 : ルールなんかないさ!!

こんなルールに感化されるとこんな(↓)

被写体ブレも手ぶれもしちゃってて誰だかわからない写真も、なんだか「良い」写真に思えてきてしまうから、つくづく人間は主観の生き物だなぁと思ったり。


魅力その2 : 味のあるレンズ

ほんわか、ぼんやりだと思われがちな LC-A ですが、それは「目測 + プログラムオート」(絞りがわからないから被写界深度もわからない...)特有のピント合わせの難しさによるもので、レンズ自体は至って真っ当に写ります。ほら、こんな感じ。

このサイズではちょっとわかりにくいと思いますが、家の壁面のディテールなんて誇張気味なぐらいで(コントラストが高いからかな?)、質感・立体感のある描写もこのレンズの得意とするところです(あくまで、ピントがちゃんと合わせられれば、ですが)。

ただ、コンピュータを設計に駆使できない時代のレンズですので、レンズの癖が大きいです。こういうのはよく「レンズの味」といわれるものですが、乱暴に言ってしまえばこれは欠陥です。「写真」的な意味でちゃんと写らない、現実(の記憶)に対し違和感の大きい「写し」を作ってしまうレンズです。・・がこれが「光画」的な楽しみ方では一概に「欠陥」と切って捨てられないところが写真趣味の面白いところ。

現代(というか日本の一眼レフ時代から、もうそうですが)のレンズは、「写真」的に十二分な水準を満たしつつ、薄ぅーく味が付いてるの 様な感じなので、よほど舌の肥えた人じゃないと「味」の違いに気がつきません。(じつはわたしも良くわかんない方の舌が莫迦な人間だったり)でも、この LC-A に取り付けられた MINITAR1 32mm f2.8 は、まるでジャンクフードのように強烈に味が付いているので、誰でも味の違い(つまり、「レンズには固有の味がある」という事実)に気がつくことが出来、愉しむ事が出来ます。

ここが LC-A の魅力の二つ目。とうの昔に「欠陥」「性能が悪い」と捨て置かれた、現実湾曲レンズの味を愉しめるカメラ、という価値観です。


LC-A のレンズは、先に述べたとおり、キチンと露出とピントを合わせてあげれば とても綺麗に(=「写真」的に)写るのですが、しかし、ハッとしたとき、ちょっとした被写体で、独特の色乗りをして居るのに容易に気付いてしまいます。なんというか、派手なんです。まぁ、これは見るのが一番速いかな。

妙に花の存在感が際だつ色合いになっています。オレンジが被ってるのかな?良くわかんないけど、見ると「アハッ!」となることは請け合いです。(平たく言えばカラーバランスの崩れたダメレンズってコトなのですが)



LC-A のレンズは周辺減光が激しいことで有名です。こんな感じの写真が定番かな?



四隅の明るさがあまりに見事に落ちるので「トンネルエフェクト」なんて呼ばれちゃったり(w が、当時の(実は今のも)コンパクトカメラに付いたレンズなんて、実はみんなこんなモノです。

レンズのコンパクトさを優先することと、実は被写体を選ばないと周辺減光は案外目立たなかったりすること、そして一番大きいのはサービスサイズでプリントすればここら辺はカットされてしまうところなので、落としどころとしては無難です。この写真(↓)なんか、フィルムめいっぱいまでの写真だけれど、案外目立たないでしょ?



なのに LC-Aの周辺減光が「トンネルエフェクト」なんて、まるで専売特許のようにファンに詠われてしまうのは、独特の色合い、実は質感豊富な描写と相まって、ハッとする写真が撮れてしまうことがあるからです。

上手くスキャンできなかったのですが、このポジをルーペで除いたときの、舞台でスポットライトを浴びてるかのような あまりにワザとらしい画に(そう、絵のような画に)ウハっとなってしまいました。あ、補足すると、これ別に普通に光が当たっていただけで、本当にこんなスポットライト風に陽は当たっていたわけじゃないですよ。色もコッテリ赤いですが、午後2時ぐらいの普通の光です。


また、こっち(↓)はこっちで

雨が降りそうな曇り空の中で日中シンクロでも焚いたような、これまたあまりのワザらしい写真ですが、そんな天気でもなかったしそんなこともしてないので、最初「こんな写真とったっけな」と思いました。なんです、この現実の湾曲度合いは。ぶっちゃけ上の2枚は わたしの画作りが下手すぎて普通のレンズでとってたら「フーン、で、なんでコレとったの?」な orz な写真なのですが、むぅぅ、こうなっちゃいますか。



こんな写真を見てしまうと、普通のレンズで撮った写真を眺めても、思わず「LC-A で撮ってたら、この写真どんな風に写ってたかな?」と想像してしまいます。LC-Aで撮るときには「こんな感じになる(変わる)かな?かな?」と想像してしまいます。あまりの味に「やめられない、とまらない」状態で、ついつい LC-A ばっかり持ち出してしまいます。あぁ、かっぱえびせん のようなレンズだわっ!

これが要するにレンズの味というもので、舌が肥えたおじさまとかが、同じ焦点距離のレンズを何本も買って、とっかえひっかえ愉しんでしまうものなんだなぁ、「(かめら)おやじが熱中するわけだ」と、初めて納得した次第です。(焦点距離別にレンズを揃えれば十分ジャン・・みたいなことを思っていた時期がわたしにもありました。)


ピントや露出のコントロールが難しい LC-A に足を引っ張られずにこのレンズの味を愉しむために、Lマウント(ライカのマウント)に改造してしまう方 *1もいるくらい、ちょっと癖になるレンズです。


まとめ

この LOMO LC-A の二つの魅力は、今やそれも写真の価値観として 大きく認められるモノになっています。これら +α (失敗の愉しさ、などなど)を愉しめるカメラは「トイカメラ」と呼ばれるようになりましたが、これらの愉しみと カメラがオモチャっぽくて安いことは実は別の話。LC-A はその始祖ゆえに「別の話」を体現していて 今時のトイカメよりもリッチな(=要するに普通の)カメラです。

認知されるということは、そこにニッチがあると発覚することで、デジカメ界隈でも 「Lightweight な写真」と「現実歪曲な写真」の愉しさに向けたカメラというのが作られています。特に 先日発表になったばかりの オリンパスデジタルペンOLYMPUS-PEN E-P1」は、本当にここら辺がよくわかっていて、「写真」的な愉しみをサポートしつつも コンセプトがブレたりしない、一本筋が通った凄いカメラだなぁ、と思います。こ、これは欲しい。

例えばフラッシュを載せない選択を選べたこと一つをとっても凄いです。フラッシュ焚かない選択は「雰囲気を残そう(雰囲気という情報をロストしないようにしよう)」だけじゃなくって(だって雰囲気以前にブレちゃったら情報として欠陥だもの)、ふつうの場でフラッシュを焚く精神的な重さに「撮るの、やーめた」になっちゃうからと言うのもあって、「気軽さ」ベクトルではあんまり魅力をプラスしない装備だったり。前例としては LC-Aの後継のLC-A+ が調光(光を丁度良い具合に当てること)の為の機能を省いちゃったりとか。*2

アートフィルターなんかも、「レンズの味」「フィルムの味」で現実湾曲するのを ワザと機能として作り込んじゃったという、これまたわかっているなぁ、な機能です。特に、撮るときの現実湾曲(撮影の愉しみ)を目指し、写真加工での現実湾曲(暗室での愉しみ)と混同しないあたりが、萌えるぜ!オリンパス です。



・・・っと、話がずれちゃった(あれれ、いつの間にかオリンパス持ち上げエントリーになっちゃいました...orz)。

話をLOMOに戻して、LOMO LC-A は、「写真」的愉しみを主軸に置く価値観では 「なんだこんなダメカメラっ!」になるのですが、「気軽さ」とか「光画」的愉しみを大切に思うとき、なんとも言えない強烈な魅力を放っていると言う話。きっと澪はここに惹かれて LC-A を手にし、いつでも持ち歩いて、学校生活や、休日のお散歩に、カメラ片手に歩き回っては「パシャ!」とやっているのです。


「3万出せば綺麗に写るコンパクトデジカメが買えちゃうぜっ!」はとても正しいのですが、一方で「綺麗な写真」や「良い写真」の価値観を共有出来てないとも言えます。作品に浸るのならばせっかくの機会です、LC-A で 同じ価値観、同じ愉しみを味わってみるというのも、ちょっとイイモノじゃないかしら、って思うのです。

愉しいよー?(←ここは唯風で)

*1:リンク先の写真は素晴らしいですよ!必見です!

*2:この手の輩(ロモグラファー)にとってフラッシュは綺麗な写真を撮るためのものじゃなくって、色セロファン噛ませて変な写真とるためのモノに成りはててたり...orz